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第1回尾道てのひら怪談 総評&作品選評

総評

 このたび開催した尾道てのひら怪談には、締め切りまでに239編(うち1編は文字数オーバーのため、残念ながら選外)もの応募をいただきました。篤く御礼申し上げます。

 非常にレベルが高い作品が多く、嬉しい悲鳴をあげながら審査しました。

 審査にあたって重視したことは、まず「怪談」であること。今回、怪談の定義は敢えて広くして、怖いもの、不気味なもの、切ないもの、ユーモラスなものと何でも大歓迎でしたが、やはり何らかの「怪異」が起こる物語であることは必須とし、ミステリやサイコサスペンスに分類される作品は外しました。

 次に、「ご当地てのひら怪談」というべき企画なので、作中に「尾道らしさ」が現れていることも大切な評価ポイントです。単に尾道の地名が登場するだけでなく、舞台が尾道であることが物語にとって必然であり、他の土地ではこの味は出ないだろうと思える作品を高く評価しました。

 そしてやはり、「物語」として面白いものであること。短い中にもどこか「おおっ」とうならせるところが欲しいのです。なお怪談においては、説明のつかないことをわざと残して怖さ、不気味さを醸し出すという手法もありますが、物語としてつじつまが合わない……というのはそれとは別ですので、ご用心を。

 一つ特筆しておきたいのは、今回の応募作には「坂道」と「猫」が登場するものが多かったということです。他の土地でのてのひら怪談公募(これまで西荻、深川、大阪、京田辺などで開催されています)でも、有名な場所やモチーフが複数の作品に共通して登場することはあったそうですが、ここまで同じものが重なることはなかったそうです。それだけ坂道と猫が尾道を象徴するものとして、全国的に有名なのでしょう。土地の特色を研究する上では非常に興味深い現象ですが、作品コンテストにおいては、多くの作品に共通する要素が使われていると印象が薄くなってしまい、不利に働きます。ご参考までに。

 ともあれ今回寄せていただいた作品の数々は、尾道に新たな魅力を吹き込んでくれる宝物となることと思います。可能であれば第2回以降も開催したいと考えていますので、引き続きのご声援とご応募をお待ちしております。

総評・選評 尾道てのひら怪談実行委員長 光原百合

 

作品選評

《大賞》

延命門(作:籠三蔵)

 尾道の代表的な名所の一つ、持光寺の石造りの門(延命門)を舞台にした物語です。尾道はかつて優れた石造技術で知られており、古いお墓や灯篭・狛犬などに、今でも驚くほど精巧な石細工を見ることができます。全国各地にも、尾道の石工の作であると書かれた石造物が今でも残っているそうです。延命門もそういった石造物の傑作です。

 物語の内容は、亡くなった恋人と持光寺で再会し、延命門を境に別れていく切ないジェントル・ゴースト・ストーリー(優霊物語)です。延命門で別れる二人の姿が目に浮かぶように生き生き描かれていたのが魅力的で、漫画家の波津彬子さんや高橋葉介さんの絵で、あるいは尾道出身の映画監督・大林宣彦さんの映像で見てみたいという声も上がりました。

 尾道に昔から伝わる怪談を見ると、恐ろしい怨念話よりも、どこか哀しく切ない話が多い(かんざし灯篭や丹花の子育て幽霊など)のは土地柄かと思われます。今回の審査にあたっても、上位作品はいずれ劣らぬ名作ぞろいでしたが、尾道てのひら怪談の今後を象徴する大賞作品としてはこの優しく美しい物語「延命門」がぴったりだろうと、審査員の間で意見が一致しました。

 

《優秀賞》

走神(作:剣先あおり)

 人間離れした猛烈なスピードで坂を駆け登る小さなおじいさんと、それに挑む男子高校生たちの物語。恐ろしげなモノは登場しませんが、どうやらこのおじいさんは人間ではないようなので、一種の妖怪譚というべきでしょうか。坂を一気に駆け上がれば願いがかなうという噂が広がる結びも伝説の成立過程を見るようで、非常に楽しいものでした。

 総評にも書きました通り、今回は「坂道」が登場する応募作が非常に多かったのですが、これは一つには、坂道から海を見下ろす尾道旧市街の景色が、尾道を代表する風情ある景色として全国的に有名になったからでしょう。また、坂というものが日本書紀の「黄泉比良坂」の例に見られるように、「あの世とこの世の境」を思わせる、怪談になじむ存在だからかもしれません。坂道が登場する応募作のほとんどが坂道で何らかの怪異に出会うという物語展開で、この「走神」も例外ではありませんが、元気な高校生の語りで進む勢いとユーモラスな雰囲気が圧倒的に印象に残りました。  剣先さんはてのひら怪談ファンの間ではおなじみの、実力派怪談作家です。貫録の受賞というべきでしょう。

廃屋の画家(作:甘露煮)

 大学運営の美術館で出会った女性画家と意気投合した「私」は、山手の廃屋を改装した彼女のアトリエで絵のモデルをつとめることになった。描いてもらっているうちに眠りに落ちたが、目覚めてみると彼女の姿はなく……。

 坂道から瀬戸内海を見下ろす尾道旧市街の風景は、昔から多くの画家に愛され、画題に選ばれてきました。尾道市立大学に美術学科があるのは、そんな尾道の土地柄にぴったりと言えるでしょう。また、その坂の町並みは住むには不便が多く、空き家が多くなっていましたが、近年はそういった空き家を改装して住み、美しい景色と不便さを敢えて楽しむ人たちも増えています。この作品は、尾道のこういった現状を巧みに物語に取り込んでいます。

 ラストで画家の女性が消えただけだったら物語としては単純すぎるところでしたが、彼女が描いた「私」の絵が「悲しげな顔つきをしていた」という結びが絶妙にうまいです。怪談としてはつい、この後「私」に何か不幸が訪れたとまで書いてしまいたくなるところですが、そこを抑えて、読者に不穏な予感だけ残して終わってみせたことに舌を巻きました。

隙魔(作:でこぽん)

 『尾道民話』という架空の書物からの引用という体裁で、「隙魔」という怪異を紹介しています。物語形式にとらわれず、こういう形での怪談の書き方もあるのですね。引用箇所のページまで記す遊び心に感心しました。

 少しだけ開いた扉のような「隙間」に宿る怪異は怪談ではおなじみの存在ですが(ミステリ・ホラー両分野で活躍する作家、三津田信三さんの「隙魔の如き覗くもの」など)、それを尾道の町の特色である小路と見事に組み合わせてあります。

 尾道旧市街では平野部にある商店街でも山手の坂道でも、家々の間を細い小路が縦横に行きかい、慣れない人にはまるで迷路のように映ります。道を曲がった先に何が待っているかわからない……そんな気持ちにさせるところが尾道の町の魅力でもありますが、この「隙魔」によって、小路の先に何やら不気味なものがいて、追いかけても決して確かめることができないという怪異譚が生まれました。

 

《佳作》

花火(作:山口和史)

 尾道を代表する夏祭りが住吉の花火祭りです。それを思わせる花火の夜、この世の者ではない誰かに支えられて花火を楽しむ人を目撃するお話。夏の花火にはもともと、お盆の迎え火や送り火にも通じる慰霊と鎮魂の意味合いがあると言われているので、亡き人との再会の舞台としてはぴったりでしょう。

類似(作:鳥原和真)

 尾道は港町なので、てのひら怪談にも海の怪異譚が多く寄せられるかと思っていましたが、意外に少なかったですね。その数少ない海の怪談の一つで、不気味さでは入選作中随一だったのが本作。ラブクラフトの「インスマスもの」を尾道の風土と歴史の中に見事に置き換えたような物語でした。

夜店(作:御手洗)

 長さだけなら西日本でも有数と言われる尾道の商店街。レトロな雰囲気を観光客の皆さんに楽しんでいただいているようですが、そんな商店街を舞台に、怪しげな夜店が集う様を描いた作品。夜の尾道の妖しい魅力が面白く表現されていました。おもちゃ屋さんの前に四十年以上前からあるウルトラマンの人形(正確にはウルトラマンA)、尾道で育った子どもたちには懐かしい存在です。

陽光台行き(作:林加野)

 尾道の駅から北西にある陽光台に至る道路は、美しい緑にあふれた風情ある道ですが、街灯も民家も少なく、夜になると真っ暗になります。その道路を走るバスの中での怪異譚。ひやりとした怖さもありつつ、それを自然なものと受け入れている乗客の様子がほのぼのとした雰囲気も醸し出す、不思議な魅力のある物語です。

きみをかう(作:小鳩平社員)

 主人公とその恋人?がどこかピントの外れたやり取りをしていて、これはどういうことだろう……と思っているとラストで意味がわかる。怪談でありながらミステリのような面白さもある作品です。かなりグロテスクな話になるところを、どこかとぼけた筆致でユーモアさえ醸し出しているところに感心しました。

 

《審査員個人賞》東雅夫賞

くかくの光(作:君島慧是) 

 尾道水道の海の様子を「く」の字に似た手の形であらわす演劇部の先輩。それを見守る「僕」の前に一瞬立ち現れる美しい幻想を描いています。故郷の町から旅立って行く若者の惑いや不安、先輩への淡い慕情といったものも行間から感じさせる、味わい深い作品です。

光原百合賞

ぽゆぽゆ、ばちゃ(作:シンオカコウ)

 多くの人が子どもの頃遊んだ覚えがあるはずの、夜店で売っていた水入りの風船。それをつく様子の擬態語「ぽゆぽゆ」が絶妙ですね。優れた怪談を読むと、そこに登場するそれまで平気だったものが恐ろしく感じられるようになることがありますが、この話も、あの懐かしいおもちゃを不気味だと感じさせる力がありました。

小畑拓也賞

どっち女(作:月下蝶々)

 「トイレの花子さん」などに見られるように、妖かしがどちらかの選択を迫るというのは怪談や都市伝説の一つの定番となっています(正しい方を選べば災いから逃れられる場合も、どちらを選んでもダメな場合もあり)。それをうまく使って悲痛な恋物語ができあがりました。

原卓史賞

みてた(作:真弓創)

 少しずつ使ってなくなることを、尾道の方言で「みてる」と言います(例:「醤油がみてた」)。この「みてる」という言葉を人が亡くなるという意味にも使うという用法が方言辞典にあります。「見てた」との掛詞的な使い方で、多様な読みの可能性が広がる所が面白く感じました。審査員の中の尾道出身者二人はこの用法を知らないので、地域、あるいは年代によるのかもしれません。調べてみたいところです。

林良司賞

長江小学校の蛇(作:三浦佐世子)

 何を隠そう私の通った小学校にまつわる怪談です。尾道の民話伝説研究にも携わられた大先輩の方からの投稿でした。学校の裏山は通称・タンク岩が頂上にある西国寺山の西側で、蛇が沢山居る蛇山みたいなことは、同じく母校になる母親からも小学生時分に耳にしていました。加えて、運動会などの学校行事には何故か雨が多いという逸話も聞かされていました。実際に在校中にどうだったかは覚えていませんが、雨がつきものという話だけは印象深く耳に残り続けていました。

 裏山の蛇と雨は別々に切り離されたで聞かされていたわけですが、このお話によって両者がビタリと繋がり、一つの怪談話になるというのに驚き、ブルルと身震いするほどの衝撃がありました。まさに点と点が繋がり、ミステリーの謎解きのような気分でもありますが、内容が内容だけに心中穏やかでないところもあります。

 今現在の学校及び地域でそのような話題を聞かないところをみると、既に遠い過去のお話になってしまっているようですが、ちょうどこの選評を書いている時が、雨続きの週間天気(4月第一週)とあって、この間に長江小で屋外での学校行事があったりするのだろうか?と、ちょっと気になるものがあります。(この項は林良司執筆)

 

3月26日のトークイベントの様子。東先生による大賞・優秀賞の朗読も行われました!

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