第1回尾道てのひら怪談東雅夫賞受賞作品『くかくの光』
作品タイトル: くかくの光
筆名: 君島慧是
大学や就職のためにこの町を出なきゃいけない。そのまえになぜかやたらくねくねと、手を横にのべたくの字に曲げて、波と海鳥を真似る。しきりにそうして、制服のままで、綾香先輩は立っている。ポニーテールが海風に揺れる曲がり角、見ようによっては崖の縁、自分の作っている手の形によく似た角に先輩は立っている。水道の海面はたまに、丸みのすこし尖った手の甲のような形に見えた。 どこの海も、おなじだという人もいる。繋がっているから。「そう思うと、きっとホッとするのねでもとてもそうは思えないって」去年卒業した貴志先輩の言葉を綾香先輩はなぞる。演劇部の卒業するものたちから在校生と恩師に贈る波の手。この海はこの水道特有のものだよと、卒業生は演じて伝えるのか、心構えを持のか。それをほとんど音のない、体の動きだけで表現する。ちょっと前衛的な、演劇とも舞踊ともとれない舞台だが、これならどんなに部員が少なくい年でもできる。 今年、三年生は綾香先輩ひとりで、二年だがピアノがただひとり弾けるぼくは、その伴奏をする。練習の帰りはいつも二人だ。 家々の屋根が、斜めに重なる景色も横に倒れたくの字の形で、海鳥がいれば、これもなぜかそう見えて。まだ西日が傾いたぐらいの、あまり空も町も赤くない、空気が透明になる日に、ちょうどそれはこんな季節、春の、卒業とか、さらにその先の入学とかを待つ、すこしモラトリアムな時期に、天気のいい日にたまに、空気は透明な金色になって、西日を反射する屋根も、水道の波も、おなじ黄色に近い、くの字の金色で、境いをなくす。 綾香先輩の白い指先、曲げた手の甲がくねくねと波をなぞり、ぱっと長い指先が翻る。ぱしゃん︱海で盛大に波の音と、光が跳ね、一面の海と、屋根という屋根から、くの字に羽搏く黄色い鳥のようなものが一斉に飛び立った。それは手前の景色も対岸の緑も超えて、黄色い雲と空に煌き遠ざかっていった。