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第2回尾道てのひら怪談大賞受賞作品『蝉脱』

作品タイトル: 蝉脱  

筆名: 工房ナカムラ

 子どものころ父の転勤で尾道に二年ほど住んでいた。あまり良い思い出はない。言葉が気取ってるとよく馬鹿にされたものだ。私が何か言うたびに指差して笑っていたあの子。指差す手の甲の赤いあざ。四十年たった今でも鮮明に覚えている。

 仕事のため久しぶりに訪れた尾道はすっかり小綺麗になっていて潮の匂いも遠い。

 せっかくだからと土産を買いに本通りに行くと『晩寄りさん』と呼ばれる行商の老婆が手押し車の上で魚を捌いていた。

 懐かしい光景に足をとめる。車の横に小さな金盥が置いてあり、見下ろすとクラゲのような半透明のブヨブヨしたものが入っていた。

「蝉脱よ」

 忙しく魚の処理をしながら顔も上げずに老婆が言った。

「蝉脱?」

「海に落ちて死んでねぇ長いこと潮に揉まれると、蝉の脱皮みたいに手足の皮がつるんと脱げるんよ。あんたも知っとるじゃろ?昔あんたの同級生が自転車で遊びよって海に落ちたよねぇ。あの子も長いこと見つからんかったよ。上がったときはそりゃ酷い有様じゃった。落ちたの見とった子が早う教えてくれたらこがいにならんかったのに」

 私は思わずしゃがんで金盥を覗き込む。目を凝らして白く重なり合うそれを見る。

 手袋のようなそれ。小さな指。赤いあざ。まさかあのときの。

 急に濃厚な潮の匂いがして眩暈に襲われる。

「どうしたん?」

 不審げな老婆の声にはっとする。よく見ると金盥にあるのはただのビニール袋だ。

 頭を軽く振ってその場を離れる。濃厚な潮の匂いは相変わらずまとわりつき、背後からぺっちゃんぺっちゃんと濡れた布を打ちつけるような音がただついてくるだけだった。

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